博士(学術)松﨑 光弘 東北学院大学地域共生推進機構 特任教授 株式会社知識創発研究所 代表取締役CRO

略歴

1965年大阪生まれ。 1992年神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了。太成学院大学経営学部教授、大阪府立青少年会館館長を経て、2009年に前身である株式会社出藍社を設立、2013年に社名変更。2014年11月より東北学院大学特任教授。

経産省、内閣府、復興庁などのプロジェクトで若手人材育成のカリキュラム開発や現場運営に関わり、複雑適応系の考え方を基に、組織の中で知識が作られてく仕組みを研究しながら、20年にわたって若手人材の育成に取り組んでいる。

企業向けに「学ぶ職場」をつくるOJL(On the Job Learning)プログラムを、大学向けに、学生の主体的な学びの場をつくるACD(Active Curriculum Development)プログラムを提供。全国のインターンシップ事例に精通し、モデルカリキュラムの開発と運用のハンズオン支援、大学や自治体主催のインターンシップ専門人材養成講座を担当。

〜現在

堅い経歴
2009年4月 個人事業「教育企画出藍社」を創業 2009年7月 中小企業経営者向け経営塾「実践BS経営塾」(主催 NPO法人BS経営研究所)の運営から事業スタートUBI株式会社会長木村勝男氏の経営手法『BS経営』・『放牧経営』を研修プログラム化 2010年1月 個人事業を法人化、株式会社出藍社設立 2010年4月 内閣府地域社会雇用創造事業ソーシャルビジネスエコシステム創出事業(受託:NPO法人ETIC.)カリキュラム開発委員に就任全国20カ所でのソーシャルビジネスにおけるインターンシップ事業のモデルカリキュラム開発と、運営のハンズオン支援を担当その一方で、企業向け、NPO向け、地域向け、大学向けの各種セミナーやコンサルティングを行う 2012年6月 仙台へ移転。復興に関わる人材育成の仕事に関わる 種々セミナーの他に、インターンシップコーディネーター研修やキャリア教育コーディネーター養成講座なども担当。 2013年8月 社名を株式会社知識創発研究所に変更 2014年11月 全国中小企業団体中央会委託事業「平成26年度地域中小企業の人材確保・定着支援事業」の一環で、全国の地域コーディネーター育成を担当 2014年11月 東北学院大学地域共生推進機構特任教授として着任。地(知)の拠点事業に取り組む
しかしてその実態は
各種セミナーやコンサルティングの内容そのものよりも、それらを通して受講者の学びが深まり、全体で新しい知恵が生まれ、それらが職場や地域で広がるための仕組みをつくることに無上の喜びを感じている。 セミナーを受講した企業様の現場のスタッフから「お客様に喜んでもらいつつちゃんと利益を上げて仕事が楽しい!」と言われた夜は、にやにやしながら酒を飲んでいるらしい・・ 非営利組織にマネジメントの概念を取り入れることで「成果の上がる組織」にすることを狙っているらしい・・ 若手人材が成長する仕組みに複雑適応系の考え方を取り入れる「実験」をやっている・・・という噂も・・・ 「ゆるキャラ」を愛し、その活用の手法を密かに研究しているらしい 「カピバラ」を愛し、仙台の青葉祭りで「カピバラ連」をつくって着ぐるみを着て「雀踊り」をするという野望を胸に抱いている。

大阪府立青少年会館館長時代

堅い経歴
2006年4月 大阪府立青少年会館館長に就任指定管理者制度に基づく初の民間人館長年間予算規模2億円、敷地面積10,000㎡の施設を管理運営 2006年5月 経済産業省チャレンジ・コミュニティ創成プロジェクトにおいてモデルCP(チャレンジ・プロデューサ)に採択 以降、複雑適応系マネジメントの考え方を取り入れ、若者と地域を結ぶ事業に取り組む 実践型インターンシップ 大学生向けキャリア教育 キャリアイベント アートを用いた地域活性化プロジェクト >>森ノ宮ヒミツキチ(運営:関西をアートで元気にするNPO「A-yan!!」) 若手起業家育成 若手芸術家育成プラットフォーム  等々 同時に指定管理者制度を活用した公共経営のあり方に研究複雑適応系マネジメントの考え方を取り入れ、探査型の自主事業を展開 事業の効果を、類似する行政事業の事業費と比較することで定量化(指定管理前)会館運営収入1.2億、行政委託費1.5億、事業費800万>>(指定管理後)会館運営収入1.2億、行政委託費6500万で行政予算1億円以上相当の事業を展開(と勝手に見積もり) 2009年 大阪府立青少年会館の廃止に伴い退任
しかしてその実態は
2006年10月に開催したイベントの告知を、ホームページのトップバナーに掲載したが、黒字におどろおどろしい赤文字で「10月6日仏滅 青少年会館に何かが起こる」と書いたために、他の施設から「サイバー攻撃ではないか」と心配の電話をいただいた。 公的施設で初めて「大コスプレイベント」を開催。同じ敷地内でチョー堅いイベントがあったがあえて同日開催。しかし、堅いイベントにご参加の皆さんはけっこう大喜び。主催者様はちょっと渋い顔・・(^^;​ 未利用施設を「ヒミツキチ」としてアートコミュニティの拠点に・・・といいつつ、若い衆がやりたいようにやってもらっていた。NHKの取材の時には、「まきまきウンチ」の帽子をかぶってちゃっかり片隅に映っていた。 当時の知事とのやりとりの様子のニュース映像がYouTubeとにこ動で30万回くらい再生されたらしい・・・さすがにもう残ってないですよね(^^;  

第1期大学教員時代

堅い経歴
1993年10月 関西女学院短期大学経営学科情報専攻の専任講師として着任 1995年4月 大阪短期大学(後の南大阪大学、太成学院大学)経営情報学科専任講師として着任 1996年 同助教授 1997年 情報センター副センター長就任学内LAN運用、学内LANとノートPCを活用した教育システム構築に取り組む海外研修先のニュージーランドの語学研修校との間にインターネットを通じたテレビ会議システムを導入 1998年 南大阪大学図書館長就任図書館の管理運営の傍ら、小規模大学の図書館の運営と電子化に関する知見をまとめる>>小規模大学の電子図書館 / 松崎 光弘 南大阪大学紀要. 1(1) (通号 14) [1999.02]15~21頁 1999年 南大阪大学教授、教務部長兼学生部長に就任新設大学のカリキュラム運営に携わる傍ら、情報教育環境の整備に取り組む>>フレキシブルネットワークによる授業展開の試み@私立大学情報教育協会第9回情報教育方法研究会(2001年)>>全私学新聞に掲載 2003年 新学科設立のワーキンググループに参画しカリキュラム編成に取り組む>>2004年 経営情報学部にコミュニティビジネス学科開設 2006年3月 太成学院大学を退職(退職時は 総合経営学部教授)
しかしてその実態は・・
学園祭担当教員として学生と一緒にはじけまくる狩衣姿のコスプレとか、コートに日本刀とか・・アブナイ世界に流れていたかも・・・ テニス部顧問として、本気で学生とやり合うも、たいてい負ける・・・くやしい・・・ 茶髪だけで飽きたらず金髪メッシュを入れていたことも・・・ ゼミの指導方針は「自分の頭で考えろ!」学生からは、「放置プレイ」呼ばわりされていたが、その割にみんなちゃんと卒論を書き、ちゃんと就職していた]]>