「学問」という字は、「学びて問う」と書きますね。

「学ぶ」というのは「まねぶ」、つまりまねるというのがスタートです。
はじめは、思考や行動の基本的な「型」を先人から教わるのです。
高校生以前の学び方はこれに近いでしょう。
「学んで習う=学習」という言葉で表現されますね。

一方、大学で取り組むのは「学問」です。
先人から学び、本から学んで得た知識を、自分の中で消化して自分の心の底からの「問い」を発することに学問としての意味があり、成長の機会があるのです。

大学生活でも、仕事の中でも、大切なことは暗記と模倣ではなく、「どんな問いを発するか」です。

こんなことがありました。
とある大学で、ジャーナリストが学生さんの取材を申し込んだときのこと。
大学事務局から声をかけられた学生さんが

「その取材をうけたら、就職に有利になりますか?」

と聞いたそうです。

就職というのは人生の一大事、特に学生にとっては初めての出来事ですので、そこに意識が向かうのは当然です。
ただ、それとは別にこの発言からは、自分の時間を使うことに対するわかりやすい対価を求めていることが読み取れます。
それは、自分を消費者として規定することになれてしまった姿なのかなと感じます。

お金を払って、ものやサービスを買うという意味では、学生も消費者です。

しかし、そこで「何を買っているのか」を理解する必要があります。

学生は、「自分で成長できる力」を身につける必要があります。
それが、上に書いた「問う」ということです。
師に問い、友に問い、なにより自分に問う。
学生さんは、その能力をしっかり磨くようにしましょう。
目先のわかりやすいものを買うのにお金と時間を使うのはもったいないですよ。

そう考えると大学生にとっての読書のあり方なども見えてきます。
私は基本的に「ビジネス書」は読みません。
ページ数も少なく、内容もそれほど厚くないからです。
忙しいビジネスマンが通勤や出張といった移動の時間に読んで要点ががさくっと判るような本ということで求められているのだと感じています。
逆に言えば、そういう本は、さくっと読む読み方が適しています。
書く側も、何度も推敲したようには見えませんし、行間に深い意味も込められていません。
理論よりも経験に基づいたことを書いていますので、キーワードを押さえてポイントだけ読むのがよいでしょう。

一方、学術書では絶対それをやってはいけません。
緻密な論理構成は、一つとばすと崩れてしまいますし

字面だけを追っても、自分の腹には落ちません

筆者の論理レベルに負けている場合は、自分で納得できるまで行間をじっくり考える癖をつける必要があります。
哲学書などもそういう読み方が必要ですね。

この手の本は、1日に1ページ読めなくても問題ありません。
初めて出会う外国語の本のような感覚で読むのがよいのです。

本は、数多く読めばそれでよいというものでもありません。
一冊の本を時間をかけて読んだり、間をおいて何度も繰り返して読んだりすることも大事です。
そこに適切な「問い」が生まれることが重要です。

大学生に向けて語っていますが、結局我々の人生は「問い」を磨き続ける時間なのかもしれません。