もともとは大学の授業の中で話した内容ですが、なぜか大人の人が褒めてくれたので図に乗って書いてみます。
大学でしゃべったことですが学問的に厳密な話ではありませんので、その辺はご勘弁ください。
また「先生くさい」のもご容赦ください。もはやとれないもんで。

1. 対話と議論の大きな違い

他の人とコミュニケーションを取りつつ知恵を生み出す方法として、「対話」と「議論」があります。
大学生ぐらいだと、これらを区別することなく使ってしまうこともままあるようですが、ちゃんと使い分けないとせっかくのコミュニケーションが無駄になってしまってもったいないです。

対話はさまざまな価値観をお互いに共有するものです。
価値観とは、少し乱暴ですが簡単に言うと、「何を大切だと思うか」ということです。
例えば、みなさんが自分のパートナーを選ぶ時の作るとき最優先項目はなんですか。
顔が男前、スタイルがいい、頭がいい、優しいから・・・等々。
何を優先するか、それぞれ違って当然ですし、そこは他人が、「そうじゃないでしょう」といったところで、当人は関係ありません。
ずいぶん俗な例ですが、多様な価値観というのをイメージしやすいと考えてしましました。
繰り返しになりますが、価値観というのは結局のところ

何を大事にするか、あるいは優先順位をどうつけるか

という話です。

一方で、価値観ないしは判断基準を一旦定めた上で、最も適切な解を探そうというときに、議論を行います。
議論については後半の話にします。

2. 受容ということ

対話というのは、さまざまな価値観にもとづく考え方があり、その違いをお互いに受け入れるというところに意義があります。
あるいは、違いはあるのだけれど、何か共通のところがあるのではないかと、共に探す。そのためにお互いの意見を交換するのが対話です。
だから、対話の時間に、人の話のあら探しは一切しません。
自分と違う価値観の人は、「なぜ、何を大事にしているかな」と考え、共通理解を得ようとするのが対話です。

さて、「人生は銭や。人生で一番大事なのは金だ」と思っている人がいたとします。
それに対して、「そうだよね。自分もそうなんだ」と共感できる人はもいるでしょう。
この場合は同じ価値観ですから受け入れて当然です
逆に、「そんなのありえない。考えられない」と拒絶する人もいるかも知れません。
異なる価値観を受け入れられない状態です。
中には、「自分は違うんだけれど、そういう価値観もありうるよね。共感はできないけど、理解できる」という人もいるでしょう。
さらに、「お金が一番大事だという、その奥底にはなにか大切なものを守るための道具としてお金をていぎづけているのかも」と、相手の価値観の奥を理解しようとして仮説を立て、投げかける人もいます。
これが、多様性を受け入れている状態です。
また、「共感も理解もできないが、相手の価値観を尊重する」という考えもあってよいでしょう。
理解できないなりに、同じ人間だから対等な立場で尊重しようというのも多様性の受容につながります。

対話を通して、相手の価値観の根底にあるものまで理解できると理想的ですが、可能性を受け入れたり尊重するくらいのことは目指したいところです。

3. 他者とともに考える時の作法

グループワークのように、他の人といっしょになって考えるような場面では、参加者全員が共通の目標を達成するために努力します。
対話では、互いの価値観の違いや共通点を理解し合うこと、議論では、一旦定めた価値観のもとで最適な解を求めることが共通の目標になります。
それに向かって、参加者が自発的に自らの役割を果たす状態を協働といい、それができている集団を組織といいます。

組織として考え、学ぶ際に押さえておきたいポイントとして

全員がよいゴールにたどり着くために役割と責任があります。

というのがあります。
例えば議論をする時、私のように負けず嫌いな人は、ついつい「議論に勝とう!」としますが、それでは議論の意味がありません。
自分の正しさを主張したい気持ちは誰しもあるものですが、そこにとらわれていては参加者はみんなハッピーではなくなります。
みんなで良い考え、よい結果を生み出そうという態度がとても大事です。
そのために、さまざまな方の考え方や価値観を受け入れましょう。
せめて、「共感はできないけれど、とりあえず理解はできる」という状態を作りましょう。
その上で、以下のようなことを心がけるとよいでしょう。
これは、対話と議論に共通した「作法」です。

何について意見を交わしているのか、目的と問題の本質を忘れずに
他の人の意見と自分の意見をうまく掛け合わせるよう努力する。

どんな場面でも自分だけが正しいことはほとんどありません。
他の人の意見を掛け合わせるともっとうまくいくということが多いです。
互恵的関係、すなわち、お互いに、お互いの役に立つ関係づくりを目指しましょう。
誰か一人が考えたことに「いいね、自分も同じ意見でいいや」などと言わないように、それぞれがお互いの役に立つようにしましょう。
これらの作法は、他者とのコミュニケーションを通してよりレベルの高い解を導き出すための基礎となるものです。
この基礎の上に対話と議論、それぞれの作法があります。

4. 対話は相手を理解し自分を理解するためのもの

対話は、他者の価値観を理解することを通して、自分自身の価値観を理解する行為です。
それを実現するための作法としては以下のようなものがあります。

自由に意見を表明する
よほどのことがない限り価値観を受け入れる
互いの価値観を理解するための質問をする。
問われたことに対して誠意を持って答える。

「なぜそう思うのか」と聞いて、「わからない」と言われると質問した方が困ります。
しかし、ここでめげません。わからないなら、例えば「いつからそう思う」「何かきっかけがあったの」と、どんどん違う形で質問すると、答える側も考えるきっかけが増えます。
質問のしかたひとつで対話の質が高まります。

5. 議論は戦いではない

「議論を戦わせる」という言い回しがありますが、ほんとうの意味での議論は決して戦いではありません。
これまで述べたとおり、他者とのコミュニケーションを通してよりレベルの高い解を導き出す行為です。
ですから、自分の主張を押し通すという姿勢は根本的に誤っています。
では、議論ではどのようなどういったことを大事にする必要があるのでしょうか。

議論の基本には、「分析的・批判的思考」があります。
分析的というのは、事実に基づき、論理が通っているということです。
批判的というのは、自らの主張でも、適切な事実や論理を見いだしたならためらわず修正するということです。

論理が破綻した主張をしても、まともな議論にはならず、「口喧嘩」に発生する可能性すらあります。それでは意味がありません。

論理が通っている主張を受け入れる

それが議論の大前提です。

その上で、良い議論をするための作法としては、次のようなものがあります。

1. より適切な結論を出すことを目的とする。
  議論に勝っただの、負けただのはありません。
  それでもあえて勝ち負けで言うとしたら、
  より良い結論が出れば両方が勝ち、よい結論でなければ両方が負け。
  これが議論のルールです。
2. 互いの発言の意図を正確に受け止める努力をする。
  互いの主張が理解できなければよい結論など出しようもありません。
  お互いの発言の意図をしっかりくみ取りましょう。
3. 適切な反論は素直に受け入れる。
  反論が、「そうだよね」と、納得できたら素直に受け入れます。
  反論を受け入れる能力というのは、「受容」のための重要な要素です。
  ただしそれは感情的に受け入れるのではなくて
  論理的に正しいものを受け入れるということです。
4. 常に本質を意識して建設的に考える。
  常に本質、すなわち、最も重要な問いを忘れないようにしてください。
  紙やホワイトボードなどに目立つように書いておいてもよいでしょう。

これらの作法を守りつつ議論を進めると、互いの主張を掘り下げてより良い解を見出すことが可能になります。
弁証法で言うところの、テーゼとアンチテーゼからジンテーゼを生み出す、アウフヘーベンというプロセスです。
カタカナが並びましたが、それほど難しい話ではありません。
ある主張(テーゼ)と対立する主張(アンチテーゼ)を互いに分析的/批判的に吟味し、意見を交わすことで、互いの主張の違いを乗り越えて、二つの主張を包含した考えに至ります。
そうやってできた新たな主張をジンテーゼ、そこに至るプロセスをアウフヘーベン(止揚)といいます。
アウフヘーベンができれば、最高の議論だったということです。

議論が勝負事になってしまったり、対話がふんわりとした茶話会になってしまったりすると、「この時間は結局なんだったんだよ?」とフラストレーションがたまることになり、ひいては他者とのコミュニケーションを無意味なものと感じて阻害してしまう要因にもなります。
しかし、個々で書いたようなことに参加者が気をつければ、一人では出せない答えが見いだせるようになります。それが「三人寄れば文殊の知恵」という状態です。

よい知恵を出せるコミュニケーションをとりたいですね